人生最後の食は、何が食べたいですか?

私は、お袋さんの握ってくれた、おにぎり、、、

では、ありません。

おはぎ、ケーキ、なめらかプリンをたらふく食べたいと思う、まだ砂糖中毒の私です。

私は、なぜ食べるのか?

生きるために、楽しむために食べます。


食とは、人に良い、ものと書けます。

人に良いものを食べたいと思います。

反対に、食べすぎてしまうと、人に悪いものになります。

(指圧師にとって、とても食・食事療法は密接な関係にあります。指圧だけで健康にすることは、限られています。)

(写真 ほうれん草、トマト、たまねぎ、おくら、高野豆腐)



食を学んでいくと、命を頂くこと、命の尊さ、命の重さなどを改めて感じました。

祖父や祖母・両親が私の命を繋いでいくために、毎日毎日、手料理をつくってくれました。

感謝の一言だけでは表せません。

母は、限られた家計の予算で大変だったろうな。

母は、毎日育ち盛りの子供たちのために、メニューを考えて、さぞ大変だったろうな。

料理をつくるのが嫌いな母。

母は、毎日台所に立って、家庭を守っていて、大変だったろうな。

年老いていくと、大変料理が上手だった祖母がつくれなく、つくらなくなりました。

そのうち、いよいよ母も料理がつくれなくなるんだろうな、と思えるときがあります。

育ち盛りのときは、母の手料理がまずくて、文句ばかり言っていました。

本当に、母の手料理に文句を言って、切れていました。

そのうち、私には文句言う資格がないと、気がついたときから、言わなくなりました。

文句言うなら、自立して、自分で好きなものを作れよと、甘えるんじゃねえょ~~と気がつきました。

育ち盛りのときは、野菜の煮込み料理や魚料理、カレー、お好み焼、キンピラなど大嫌いでした。

今は、大好物。

今のうちに(生きているうちに)母の手料理も食べて、感謝の気持ちを素直に伝えておこうと思います。

(写真 季節の野菜素揚げ、カレー、ご飯の代わりにズッキーニやもやし、豆腐をみじん切りにしたもの)

ここからは、生々しいので読まないでも、かまいません。

8
月の或る日、私のお野菜の渡邊先生は、鶏も飼っています。

渡邊先生から、命の勉強にきますか?と連絡がありました。

小学生の夏休みの自由研究のために、鶏を絞めるそうです。

そのお手伝いをしてきました。

鶏を絞めるには、頭に血を集めます。
しばらくすると、目が充血してきます。

そして、首元を切ります。

血抜きをします。

茹でます。

羽をむしっていきます。

最後に、さばいていきます。

鶏肉が人の口に入るまで、大変な手順がありました。

最後まで命を消費者に繋いでいくまで大変でした。

(写真 納豆、トン汁、モッツァレラチーズサラダ、肉野菜炒め、手作りヨーグルト)

命の勉強のおかげで、食事を見つめ直しました。


私の今の食事は生きるため食べる。それが主になっています。

今までは、美味しいものを追求していました。

もう少し体がしっかりできるまでは、シンプルな自然食に近い食事、糖質制限食を続けていきます。

老いは、誰にでも平等に訪れます。

私は、老いも自然に受け入れていきたいと思います。

できないことを嘆くのでなく、できることを喜び、生んで頂いた大切な体という限りある資源を大切に使って、楽しんでいきたいと思います。

(写真 モッツァレラチーズサラダ、ポトフ、チキン。ほとんどそのままの素材だけの味付け。塩も使っていません。)

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