
(写真 畑で収穫したかんぴょうと父の油絵)
かんぴょうは糖質含有量が高いため、食べていません。
日曜日は運動会が多かったみたいですね。
久しぶりの晴天でよかった。
土曜日、大学生の患者さんが妹(中学生)を連れてやってきた。
中学生なのにひどい肩凝りで悩んでいるという。
本当は、そのお兄さんのほうの疲れ目・眼精疲労症状改善の予定だったのだが、「妹が明日の運動会なので、足が速くなる調整をしてほしい」というお願いを受けた。
その女の子は、足が長くてスタイルが良いのに、コンプレックスを抱えているため、巻き肩になって、胸郭の可動性低下が目立ち、胸が開いていなかった。
思春期特有の、自分に自信がないため、姿勢を支えるインナーマッスルが弱いため、猫背になっていることを伝えた。
私も中学生の頃から肩こりが始まって悩んでいたことを伝えた。
そうすると「何で指圧師になったのですか?」とよく聞かれる質問が飛んできた。
指圧師になったのは、両親からの遺伝子に魂が反応したから、、、。???
父から「男は、
そのため、長いスパンで、甘く育てられたと思っている。
両親に試験・受験のために勉強しなさいと言われたことはなかった。
特に母からは、言われなかった。
放任を通り越して、放置状態(笑)。
そのかわり、「挨拶をしなさい」、「人の痛みがわかる人になりさい」と、
自分には目立った才能はないと思うが、繊細な感情は両親に植え付けられたと思う。
テレビでの「アジアの国々の貧しい子供たちが、おかゆと塩だけでご飯を食べていた」ワンシーン。
それをみて、父が「それに比べると日本は贅沢だ、有難いね」と言っていたセリフが、幼い自分の心に入ってきた。
あまり語らない父がふと漏らす言葉が染み入った。
差別、区別をしたらいけないと育てられたが、それが何かわからないから、人を傷つけた。
気がつくまで何度も失敗した。
受験も、何度も失敗してもオッケーだった!
つまづいてもそっと見守ってくれた。
さぞかし見守ることは大変だったと思う。
また地域の人のおかげで、ゆっくり・じっくり・
失敗や回り道をたくさんしたけれども、いろんな失敗があるからこそ、指圧師にたどり着くことができたと今は思える。
たどり着くまで、(姿勢不良のため猫背、受験失敗、浪人、ここには書けない悪行、貧乏、悪戯があって)コンプレックスを抱えていた。
しょうもないコンプレックスを抱えていたからこそ、猫背になったのだろう。
コンプレックスを抱えていたから、良いことができず、悪い子になっていたのだろうと、思う。
指圧師になるまでに挑戦した夢の職業は、中学生の頃は、ウインブルドン優勝のテニス選手。しかし、肉体的経済的に挫折。高校生の頃は、3年間理系だったものの、英語しか勉強していない、好きなものだけを追いかけていた。視力低下のためパイロットの夢挫折。大学生の頃は、ミュージシャン→警察官と志した。音楽センスもないし、正義感もないのに、よくそのころチャレンジしたものだ。
整体師→指圧師になる過程で、ヨガや東洋医学の五行に出会い、バランスよく生きること、偏らないでほどほどに過ごすことが気持ち良いことを学ぶ。
苦手なこともしないで好きなことばかりやっても一流の指圧師にはなれないことを学んだ。
10代から20代の頃は特に行動や考え方が偏っていたと思う。
人の話も聞かずに、硬い若造だったと思う。
私は、しなやかなほうがいい。
執着がない、軽やかなほうがいい。
透き通った人には、敵わない。
手に職、好きなことを仕事にしたいと思った。
世の中にある職業を消去法で、自分にあったものを探していった。
中学生の頃、本当にテニスボールを何時間も壁打ちして飽きずにやっていた、その情熱と同じくらい、飽きずに追及できるものを探していった。
それが悩んでいた肩こりだった。
人の辛い肩こりをとろうと思った。そこから始まった。
初めはマッサージ師になろうとおもった。
マッサージも整体も指圧も違いがわからなかったが、調べて突き進んでいった。
そのうち海外に住んでいた妹から、「日本発祥の指圧がいいんじゃない」と、アドバイスをもらって、指圧師になりたいと思うようになっていった。
さらに、梅津先生の指圧を受けて、指圧は通じると確信したときから、本気で指圧師を目指していった。
整体師として仕事を始めて、先輩から「自分の気持ちを裸にしてお客様に向かっていかないといけない。お客様は自分より人生の先輩が来られ、なんでもお見通しよ」と教わった。
その整体の先輩は、しばらくして独立され、北九州市民を元気に、地域に貢献して、活躍されています。
また、私の心の師匠雀鬼桜井章一さんが、「ふるちん感覚で生きる」ということを述べています。その感覚が私も大好きです。
つまり、「素っ裸で生きる『感覚』」を大切にしています。
指圧業をしていると、どうしても嘘や虚栄などで自分を飾ることは邪魔になります。
指から自分の技術だけでなく、手のぬくもり、心が伝わるので、ごまかせません。
東京青山では、北野たけしさんや原監督、テリー伊藤さんを担当していました。
例えば、テリー伊藤さんなんか、分刻みのスケジュールのため、テレビ出演の合間を縫ってトレーニングや指圧を受けに来ていました。ジョギング、膝が悪くなってからウォーキングを20年も続けています。テリーさんから「浪越の指圧?」、「もてるの?」、「恋人はいるの?」、「どれくらい稼いでいるの?」、「将来は何をしたいの?」など次々と早口で質問がきていました。
素直に、素早く答えないと変化に対応できない。
指圧中は、ひと圧しひと圧しが集中の連続です。
嘘をついたり、ごまかす暇はありません。
自分に嘘をついていたら、次の指名はなかったと思う。
コンプレックスを解放させていく工夫を取り入れたから、指圧師にたどり着けたと思う。
短い人生だから、コンプレックスを持たず、今を大切に生きたいものです。
幸せは今を生きること、、、。
お知らせがあります。
10月から新たに、ファミリー指圧講座生(初級指圧)を募集します。
受講後は、ご家庭で指圧ができるようになります。
7月からの生徒さんは、楽しく、頑張って指作りに励んでいます。
誰でもやる気があれば、できるように指導します。
各御家庭に指圧ができる人を育てられたらと思っています。
治療院にご気軽に問い合せ下さい。

(写真 畑で収穫した、唐辛子)
唐辛子好きな人にプレゼント。
唐辛子、大葉、ししとう、なすは、来年も植えたい。
トマトは収穫時期を逃してしまうことが多く、来年は再チャレンジです。
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