テニスのまぁる~いご縁

 

22年ぶり同級生との再会~

 

 先週日曜日、若松区の市民テニスコートでJJの練習会に参加させて頂きました。

 

 

 

16歳のときにテニスで進学することをあきらめて、テニスから卒業していました。

 

 

 

再びラケットを握ったのは29歳のとき。チェコで妹たちと遊んだとき。妹の旦那に試合して負けたなぁ、懐かしい。チェコで過ごした数か月の時間は、今思えば、絶妙なタイミングだったんだなぁ。指圧師になる前の準備、今思えば「健康を取り戻す時間、指圧師に必要な体力気力を取り戻す期間」になっていたんだ。その頃は、タバコも吸っていて体力も落ちていて、不健康そのものだったと思う。帰国したら、指圧師になると決めていた。チェコでは、私の個人的な意見だが、日本のように暇つぶしで気軽に遊べるカラオケやパチンコ、ゲームセンターなど誘惑に負けるものがなく、スポーツが日本より身近にあった。平日は、温かいチェコ人の計らいで、夕方チェコの大学のフロアボールのサークルに参加して、フロアボールのゴールキーパーをしたり、チェコの合気道の道場に通ったりしながら、世界中のスポーツを実感していった。ランチを持ってちょっと郊外に行けば、素敵な丘がたくさんあって贅沢なハイキングに早変わりしていた。毎週末は、リトルカナダみたいな場所に行ってハイキングしたり、山小屋に行って巻き割りやおんぼろの自転車に乗って池の周りを一周したりしながら、食糧を調達したり、今思えば、スタンドバイミーみたいな世界を経験させて頂いた。そうして、山小屋でキャンプなんかをしながら、甘い・弱い自分を見つめながら、本当に生きる上で必要なものを理解と整理していったんだろうね。自然と体力を取り戻していく環境が備わっていた。チェコの仲間や自然に治療(癒され)されていったんだろう。妹夫婦が毎週末どこかに連れていってくれた。それは、gift、癒し。決してお金で買えない、2度とない時間だったと書きながら思いだしてしまった。

 

 

 

さて、テニスを再開したのは東京生活中。体力作りの一環として、楽しく下肢や全身を鍛えるスポーツとして。都内はなかなかテニスコートもなく、費用も高くて、足立区にまで練習に行っていた。北九州に帰ってからも暇をみつけては、ぼちぼち練習していました。マイペースでテニスやヨガは気軽にできて楽しくできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

【Tennis Magazine4月号より写真引用】

 

母校が久しぶりに全国選抜高校テニス大会に出場するので、熊本や東京に住んでいるテニス部の同級生や先輩が応援のため帰省して、JJの練習に参加してくれました。K先輩、元気がよくて足がながくてスタイルもそんなに変わっていなかった。K先輩と初めてダブルスを組ませてもらい、練習試合させて頂きました。上手な先輩にうまくリードしてもらいながら、試合を楽しませてもらいました。ポイントもわからず、ルールも忘れるくらい頭真っ白になり、テンパりました。慣れは必要、素早い状況判断が必要とひしひしと感じられ、面白かった。

 

熊本のA君もずっとテニスを続けていた。スタイルも変わらず、テニスがうまい、身体も動けていた。素晴らしい!!

 

情熱とクールを感じた。ありがとう。

 

僕も楽しく続けられる何かを、「未来の赤ちゃん」と共に発掘して、遊び続けよう。

熊本のA君、東京のF君、地元のI君、K先輩、久しぶりに会えてうれしかったです!

 

本当にO総監督ありがとうございました!!

 

そして素敵なテニス仲間のみなさん、ありがとうございました。